第35回 田上夏祭り(2009年7月26日)
昨日、第35回 田上夏祭りが無事終わった。
途中、雨に見舞われる場面もありつつも、予定スケジュールを全部行う事が出来た。
沢山のお客さんに来場いただき、また、大きな事故やトラブルもなく、無事に終えることができたのが、何よりの僥倖である。
今年は、田上町出身の真季さんの昼と夜の2回のミニライブもあり、彼女の明るくまっすぐな歌声が、祭りに華を添えてくれた。
リハーサル中です
建築業組合による、模擬・上棟式
餅、まくど~
青年部名物、「射的」。
お子様限定。
そもそも、わが町は比較的新しく生まれた市町村であり、歴史的に寺社や城などを中心に形成されてきた市町村ではない。
従って、町全体で行う「祭り」が、なかなか成り立ち難い経緯があったのだろう。
私の推測だが、だからこそ、こうして、35年前、商工業者が先導になって、こういった祭りをはじめたのだろう。
当初は、つまり第一回目の昭和49年の夏祭りは、はっきり言って、予算もノウハウもなく本当に手探り、手作りの祭りだったと思う。
そして、時代とともに、段々、夏祭りもバブリーに発展していった。
私の記憶が確かならば、私が小学生の頃は、この田上夏祭りには、風物詩のように、青空球児・好児が来ていたように思う。
私は子供ながら生意気にも、「また青空球児・好児か・・・」
そして、「ドリフが来てくれたらいいのに」と、独りごちたものだった。
しかし、祭り当日になると、不思議と
「やっぱり、青空球児・好児を見に行かなければ」と、
居ても立ってもいられなくなった。
そして、夏の炎天下の下、土ぼこりにまみれ、止めなく流れる汗を拭きながら、
人ごみの中を、精一杯背伸びをして、大人の背をかき分けるようにして必死に見た、
生の青空球児・好児の
「ゲロゲーロ」や「逆さ言葉」に、小学生の私は圧倒され続けた。
そして、やはりプロの芸は凄いな、と思い知らされたものだった。
やがて、時代が変わり、いつの間にか、祭りに呼ぶ芸人さんが、青空球児・好児から、
たけし軍団に代わり、それも何年か前から、予算が全く無くなってしまったので、全く芸人を呼ぶことはなくなってしまった。
祭りを盛り上げた真季のミニライブ。
あれから30年のち、私は祭りのスタッフとして、ステージを見ていた。
私は、熱せられたアスファルトとむせ返るような湿気の中、ステージ上の彼女の歌う姿の向こうに、追憶の中の青空球児・好児を探し続けたのだった。











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