昨日は、二十四節気で「処暑」。
「処」は「とどまる、落ち着く」という意味があり、暑さがおさまる頃という意味です。
厳しい夏の暑さが過ぎ、秋の涼しさが感じられる時期。
また、暑さが峠をこえて後退し始め、朝夕は心地よい涼風が吹き出す時期です。(「暦便覧」)より
という訳で、
やぁ、久しぶり。元気だった?
昨日、わが町の椿寿荘で開催された、加茂青年会議所主催の「AKARIBA」に行ってきた。
日常の街づくりの一環としての活動とのこと。
とても素敵な活動である。
JCの皆様、大変ご苦労様でございます。
椿寿荘は、「豪農の館」との別称をもち、わが田上町の指定文化財である。
ほんの近くに住んでいながら、なかなか中に入って見学する機会が少ないので、今回は、とても良かったのだが、5歳と3歳になる、わが子を連れていったため、どっと疲れた。
もう、子供らは、庭園の中を走りまわるし、苔の部分にはあがるし、庭の中の祠の上に上がって役場の職員さんに怒られるし、もう、お父さんは世間様に申し訳ない恥ずかしい思いをしてまいりました。
極めつけは、イベントの最後の方に、大広間で民話を方言で語って聞かせるのがあったのだが、子供たちは座って静かにしているのはいいのだが、演者から丸見えの位置で、あからさまに「全然おもしろくね~」という態度をしているのには、参った。
話は二編あって、一つ終わった時に、申し訳ないので、子供たちを連れて帰ろうと思ったのだが、二つ目が始まってしまい、とうとう最後まで居てしまった。
ところで、話の内容の一つは、ある夫婦の話。
ムコさんが、ヨメの実家でご馳走になった団子を、家に帰ってからヨメさんに作ってもらおうとした。
ところが、「だんご」をという言葉が思い出せず、遂には夫婦喧嘩になってしまい、挙句の果てにエキサイトしてしまい、思わずスリコギ棒でヨメさんの頭を叩いてしまう。
そこにできた団子のようなタンコブをみて「だんご」という言葉を思い出す話。
もう一つは、ある貧しい青年の話。
金持ちになりたいと願う、貧しい青年が、ある日、神様から「屁」を自在に出したり止めたりできる不思議なヘラを授かる。
試しに、馬引きの馬の尻に、そのヘラを当てると、馬から変な歌のような屁が出てが止まらなくなってしまい、飼い主が仕事にならないといって大変困ってしまう。
そこで、その青年は、「私が止めてみましょう」と言って、何食わぬ顔で、そのヘラを使って馬の屁を止めてしまう。
馬の飼い主は、その青年に大変感謝し、お礼にと、酒や食事をご馳走をした。
それに味をしめた青年は、ある一計を案ずる。
村の祭りで、庄屋の娘にそのヘラを使うのだ。
その企ては、見事に成功し、庄屋の娘は変な歌のような屁が止まらなくなってしまう。
年頃の娘は、恥ずかしくて恥ずかしくて布団をかぶって部屋に引きこもってしまい、気を病んでしまう。
何日かして、頃合をみて、その青年が「私が止めてみましょう」とやってくる。
青年は、娘の部屋から人払いをし、娘と二人きりになり、しばしの時間を楽しんだ後、屁を止めてみせる。
庄屋は、この青年に大変感謝し、更に、なんとあろうことか、青年は庄屋の娘と結婚し、逆玉に乗って、庄屋の旦那様となってしまう。
こうして、この青年の夢は叶ったとさ。おしまい。
なんだそりゃ。どうも腑に落ちない。
なんで、そんな人の弱みにつけ込む卑怯なヤツが最後に幸せになるのだ?
大体、この青年がやっていることは、現代の感覚では、正しく「詐欺」ではないか。
一話目は、夫婦のほほえましい日常的出来事だから、まあいいが、これはいけない。
ドラえもんでも、未来の道具を使って、自らの欲望を満たさんとする者は、必ず自らの身を滅ぼしているではないか。
特にヒーロー物や、水戸黄門、大岡越前などを見て、幼少期を過ごした私にとって、「昔話」で、勧善懲悪的な結末がないのは、非常にフラストレーションが溜まる。
なんだ、この青年は?
「金持ちになりたい」、その願望はわかるさ。誰でも金持ちになりたい願望はあるよ。
でもそれは、まるっきり詐欺であって、卑劣な手段ではないか?
なんだ、それ。
という訳で、私は、その民話の結末が腑に落ちないまま、子供たちに「帰るぞ」と言って、椿寿荘を後にしたのだった。
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